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3. 風の中の影

Penulis: 月歌
last update Terakhir Diperbarui: 2025-12-20 18:22:32

夜更けの回廊は冷え切っていた。

蘭珠はその中を、ひとり震えながら歩いていた。産むべき子を抱えた腹を、そっと両手で包み込む。

景炎が出陣してから、宮中は目に見えて変わった。

侍女たちは蘭珠を避けるようになり、妃仲間も距離を置く。

理由はわからない。ただ——

景炎が書き送ってきた文が、ぱたりと途絶えた。

「何かあったの……?」

胸の奥で不安が揺れる。

あれほど深く求められ、愛され、

「必ず戻る」と誓いさえ交わしたのに。

蘭珠は壁に手を添え、深く吸い込んだ。

冷たい空気が肺を刺し、胸が締め付けられる。

そんな彼女のもとへ、小走りの影が近づく。

「蘭珠様、戻られましたか……!」

若い侍女・梅香が、顔を青くして頭を下げた。

「どうしたの?」

「さきほど……皇太子殿下からの伝令が戻りまして」

「景炎から!?」

思わず声が上ずる。

しかし、梅香の唇は震えていた。

「……殿下は、勝利を収められました。ですが同時に……“雪瓔(せつえい)”という美女を連れ帰られたとのことです」

「雪瓔……?」

聞いたことのない名。

けれどどこか、冷たい音の響きがした。

「敵国の王子の側妾だったそうです。戦場で殿下の命を救い、その知略で勝利にも貢献したと……」

——まるで、物語に出てくる傾国の美女。

ひとりの女の微笑みが、国を傾ける。

蘭珠は胸を押さえた。

不安が、ひたひたと足元から満ちていく。

「景炎は……無事なのね?」

「はい。ただ……お、お姿に変化が……」

梅香は言いにくそうに口ごもった。

「変化?」

「殿下は、まるで別人のように冷たく……雪瓔という女の傍を離れられないとか……」

蘭珠の心臓が一瞬止まったように感じた。

景炎が他の女から離れない?

あり得ない。そんなこと——

「梅香。その噂は……本当なの?」

侍女の目が揺れ、涙が滲む。

「……はい。皆、そのように」

音もなく、蘭珠の世界にひびが入った。

——景炎が、私以外の女のそばに。

「帰りましょう、蘭珠様。お部屋は……まだ温かくしてありますから」

「……ええ」

蘭珠は歩きはじめた。

だが一歩ごとに、胸の奥が軋む。

景炎が愛してくれたのは、

私ではなかったのだろうか。

あの日々は、夢だったのだろうか。

いや。

あの瞳は嘘じゃなかった。

自分を抱きしめた温度も、優しい囁きも、本物だったはず。

(もし……誰かが景炎を操っているのだとしたら?)

雪瓔という女。

敵国の王子の側妾。

戦場で偶然救われた。

知略で勝利に貢献した。

あまりにも出来すぎている。

むしろ——

(まるで、景炎の心を奪うために現れたみたい)

そう考えた瞬間、背筋に冷たいものが奔った。

回廊の闇がざわりと揺れたように見えた。

——視線。

誰かに見られている。

蘭珠は振り返る。

だが、灯籠の火が揺らめくだけで誰もいない。

「……気のせい」

そう呟いたものの、胸の鼓動は早まるばかりだ。

部屋へ戻ると、外の風の音に混じって、

かすかな「囁き」のようなものが聞こえた。

——連レ帰ル。

——アノ男ハ、戻サヌ。

蘭珠は肩を震わせた。

「……誰?」

しかし、部屋には梅香しかいない。

風もいつのまにか止んでいた。

「蘭珠様?」

「いえ……なんでもないわ」

けれど、その夜。

蘭珠は眠りにつけなかった。

窓の外で、女の影がゆらりと揺れたからだ。

髪が風に漂い、まるで黒い煙のようにかすれている。

その女影は、蒼い月光に照らされて微笑んだ。

「……っ!」

次の瞬間、影は霧散した。

蘭珠は震えながら腹を抱きしめた。

(景炎……戻ってきて。お願い)

その願いは、しかし。

遠く離れた戦場から戻ってくる彼の心には、

もう届かない。

——彼のそばには、雪瓔がいた。

その微笑みは美しすぎるほど美しく、

しかし人ならざる妖の気配を孕んでいた。

景炎は気づかない。

自分が、

“傾国の妖魔”に魅了されつつあることに。

その夜、蘭珠の部屋の灯は朝まで消えなかった。

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  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   14. 芳玉

    楚凌とのぎこちなさは、日を重ねても解けなかった。言葉を交わさぬわけではない。朝には挨拶をし、夜には同じ卓を囲む。それでも、互いの間には、薄い隔たりが残っている。——あの言葉は、楚凌様を傷つけたのだろうか。思い返すたび、胸の奥が小さく疼いた。だが、今は立ち止まってはいられない。この子のために、前へ進まなければならない。その日、蘭珠は周蘭と連れ立って門番宿舎を出た。紙問屋へ向かうためだ。夏の陽射しは強く、石畳が白く照り返している。道沿いの木々は葉を広げ、蝉の声が遠くで重なっていた。蘭珠は歩きながら、腹にそっと手を添えた。——王宮を不名誉に去ったこの身で、人前に立つことになるとは。仕事として請け負う以上、相手に迷惑をかけるわけにはいかない。それが、どのような家であれ。「周蘭……」「はい、奥さま」「私が教えに行くことで、先方の評判を落とすことにはなりませんか」周蘭は一瞬きょとんとしたあと、あっさり首を振った。「今さらですよ」「……今さら、とは?」「奥さま。都では、もう別の噂のほうが大きいのです」歩調を少し落とし、周蘭は声を低めた。「雪瓔様が宮に入られて、しばらく経ちますでしょう。最初は、国を勝利に導いた方だと、皆ありがたがっていました」「ええ……」「けれど、最近は」周蘭は小さく息をつく。「浪費が過ぎる、と」蘭珠の足が、わずかに止まった。「浪費……?」「はい。雪瓔様のために、皇太子殿下が別邸を建てられたそうで」周蘭は周囲を気にしながら続ける。「その場所が、もともと王都の民が季節ごとに花見を楽しんでいた場所でしてね。今は立ち入りもできず、不満が出ています」胸の奥が、ざわりと波立つ。——景炎様が、そのようなことを……?民の声を軽んじる方ではなかった。少なくとも、蘭珠が知る限りは。「殿下を恨む声も、少しずつ増えております」その言葉が、静かに重く落ちる。蘭珠は、腹に手を当てた。——雪瓔に、操られているのだろうか。そう考えてしまう自分に、苦笑が浮かぶ。この子の父は、景炎だ。もし彼が圧政を敷き、国が傾くようなことになれば。その影は、いずれこの子にも及ぶ。恨んでいる。それでも、無事でいてほしいと祈ってしまう。その矛盾を抱えたまま、蘭珠は前を向いた。通りには活気があった。商人の呼び声、行き交

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